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「清元和加葉会」 特集NO.3
平成14年4月24日(水)、第四十六回清元和加葉会が盛況のうちに開催されました。
今回の特集では、清元高輪派、女流名執の会としてもっとも大きな演奏会の一つとなった和加葉会について、歴史や数々のエピソードなどを、ご出演の
清元延古摩さん、延栄美代さん、延秀佳さん、延勇輝さんにうかがいました。
和加葉会の発足は

故志寿太夫師が人間国宝になられた際、「女流も演奏の機会をもって、芸のレベルアップが大切」と先代のお家元(六世延寿太夫)にご協力を仰ぎ、昭和44年3月に第一回和加葉会が開催されました。
会名は先代家元の祖母にあたり、清元の名演奏家としても知られている清元若葉さん(五世延寿太夫の奥様)のお名前から頂いて、字画をかえて「和加葉会」と名付けられています。

出演者やプログラムはどのようにきまるのですか
第四十六回和加葉会プログラムはココをクリック

開催は年1回で、浄瑠璃と三味線の人の組み合わせは、年ごとにタテが変わるように寄り合いをして話し合いできまります。
プログラムはお客様が飽きないように曲の選定に変化をつけていますが、とくに同じような曲が選ばれメリハリが無くならないように選曲するのが難しいですね。
出演者は原則として師範名執のお師匠さんのみと決まっています。

演奏会のお稽古はどのようにされるのですか

現在は全体練習の時に、清元栄三郎お師匠さんに総合指導をしていただきます。今年も幾度か栄三郎師のもとで指導していただきました。あとは各自お稽古を重ね、曲ごとに演奏者で集まって何度もお稽古の場を持ちます。
発足当時は六世家元延寿太夫師、志寿太夫師、正寿郎師、正寿郎師亡き後は一寿郎師に御指導をして頂いて参りました。

演奏会のときのお着物について

和加葉会では“青海波”が染められている揃いの柄の着物を着ます。
五世延寿太夫の名披露目の際の演奏曲だった「青海波」と「柏の葉」は清元の流儀にちなんだ絵柄となっています。

和加葉会での楽しかったエピソードなどありますか?

第一回目の和加葉会では、若い女流の演奏家が演奏できずに廊下にあふれているのを家元さんが御覧になり、もっと演奏できるようにと、第二回目の会から暫く、春秋2回の開催となりました。1日に七段ほど演奏したのですが、それでも出演希望者が多くて、当時はなかなか会に出ることができませんでした。

昭和57年・58年に、2年続けて和加葉会として歌舞伎座一月興行の舞台「松竹梅」に出演し演奏しました。この演目は清元のメドレーとでも言いましょうか、「六玉川」、「四君子」、「御国振り(みくにぶり)」、「青海波」、「扇獅子」、「四季三葉草」などの一部を演奏し、曲が変わるごとに、雀右衛門さん、鴈治郎さん(当時は扇雀さん)、猿之助さん、菊五郎さん、我當さん、勘九郎さんなど役者さんたちが替わる替わるセリから上がって踊りや舞台を勤めるとても豪華なものでした。
女性の演奏家が50人以上も舞台に並ぶものですからとても華やかで、役者を見ずに地方の方ばかり見ているお客さんも多くて、役者さんからクレームがきたとか、こなかったとか・・・声援がすごくてとても楽しい経験でした。

昭和57年歌舞伎座一月興行の舞台「松竹梅」

昭和54年3月7日国立小劇場で開催された記念の第二十回和加葉会に、会の発足にご尽力され、初回から出演されていた延志女寿お師匠さん(故寿國太夫師、故一寿郎師の姉)がお体の具合の悪い中「四季三葉草」を弾かれ、その記念の会を見届けるようにして12日後の3月19日に亡くなられました。そのときの演奏がとてもすばらしく、今でも心に残っています。
お一人お一人のお名前は上げられませんが、女流を代表する御師匠さん方が出演されていました。

和加葉会の今後の活動について
左から延秀佳さん、延古摩さん、延栄美代さん、延勇輝さん。

これからも清元を広めるための場の一つとして活動を続け、特に若い人に清元の良さを伝えていきたいと考えています。また、会の歴史と、伝統を重んじ、さらなる会の向上を目指しています。
女流のお師匠さんが盛大だとお流儀は発展します。私たちも勉強を重ね、より多くの方にお稽古をつけていくことが大切だと考えています。